遠足総括。

時は令和。10月30日にそれは決行された。新型コロナウイルス蔓延という昨今の情勢を鑑みて1度は延期になり中止も危ぶまれたが、「大阪城公園散策、水上バス乗車」を主とした遠足が行われたのだ。

遠足と聞くと幼稚園保育園、小学校の生徒児童らにむけて行われるものという認識があるのは私だけではないだろう。中学や高校での学校団体での遠出は基本的に修学旅行と名付けられることが多いと思う。修学旅行というと都道府県外に出向いて、仲間との親睦を深めるのと同時にスポーツや様々な伝統芸能等の技術の習得を図るものだと私は解釈しているが、今回は遠足と当てられている。つまり前者の方で高校での遠出で遠足と名付けられている例を私は見たことが無かった。

私は多少の疑問を抱きつつ遠足までの学校生活を送っていた。

遠足の準備が始まったのは1か月前くらいのことだろうか。大抵の場合前日にはロングホームルーム(以下LHR)の内容が伝達されるのだがその日は何も聞かされないままLHRを迎えた。席替え?転校生じゃね?女子がいいな。等とクラスメイトがザワついているのを私は小学生の発想だな、と前の授業から集めていた消しカスを駆使し練り消しを作りながら左耳から右耳へと流して聞いていた。そこに全教師の中で学芸専門学校に居そうな顔ランキング堂々の1位である担任がやってきた。そこで彼はこう言い放った。

 

「今から今度いく遠足の班とバス座席を決めます。」

 

私は激怒した。皆は私が何を理由にして激怒していると考察するだろうか。大阪が嫌い?何度も行ったことがある?このご時世だから?そのような容易い問題ではない。何を隠そう私は2年という中だるみの時期とよく言われる学年に位を上げたその瞬間からクラスで喋れる人がゼロになってしまったのだ!しかし全員が全員初対面という訳では無い。私は現在は部活を辞め不健康体系コミュ障根暗陰キャという称号を片手に生きているが1年の頃はきちんと部活をしていた。偉い。偉すぎる。何なら運動部だ。+5点。その頃の部員、部活友達略して部友とでも言うのだろうか。がクラスに1人だけいた。私にとって唯一の命綱だった。類は友を呼ぶという言葉がある。陽キャには陽キャが、陰キャには陰キャが磁石の如くくっつくのだ。勘づいている人もいるだろうがその部友が陽キャに囲まれているのだ。中学の体育で毎回教員と体操していた経歴を持つ私がそこに特攻出来るはずもなく。

話を戻そう。つまり私には気軽に喋れる友はいない。クラスの男子全員とは一通り喋れるようにはなっていたが私を座席の横にいてくれるほどの仲の人は居なかった。故にバスの横はおろか、班という概念自体その頃の私の頭には無かった。当然のように周りは班が形成されていく。私はどうしようもなく机に腕伏せて寝るしか無かった。1人で大阪城近くのゲームセンターを模索していたその時だ、

「僕らと一緒に班くんでくれん?」

 

そこには言葉で表すには難しい程の金色のオーラを纏った2人のクラスメイトの姿があった。古文に「源氏の五十余絵巻」という文がある。主人公がある物語を探し求めて旅するものだが主人公はとある日近所の老婆の家へ出向いてそこでその物語や様々な物語が入った櫃を貰う。

私は多分その時の主人公と同じ気持ちだったであろう。せっかく誘って貰えたのだから何もしない恩知らずにはなりたいと思ったので率先して班長になった。その後一日の巡る順序を定めたりした。こうして私の遠足奮闘劇は始まったのである。

休校。それは全国津々浦々に存在している学校に、それはそれは我らの先輩である大人の中の社畜の如く、日々登校している学校生徒をどん底から幸せの値に格上げしある時は命を救う魔法のような言葉である。

貴方は休校になったらどう思うだろうか?喜びの感情が浮かんでいる諸君は私と同類であろう。お互い強く生きていこう。もし喜びとは真逆の感情、残念、憤り、が浮かんでいる貴方は私とは分かり合えないかもしれない。是非そこまでして学校に行きたいという理由を問いたい。私は受ける授業を選択する形を高校でも採用した方がいいのではと日頃思っている。まぁこのような口を叩く割に高校に入学している自分もまた阿呆と言わざるを得ないのだが。

私はすぐに話を無駄に膨らまし脱線する癖がある。面接での質疑応答の際も私のターンで長編映画1本は見れるほど長引かせる自信がある始末だ。

何が言いたいのかと言うと休校は学生を救う、1部例外があるようだが。その魔法の言葉が前述した班決めの2日後辺りだろうか、弊校にも届けられたのだ。それは突然のことだった。10月は私の中でトキメキ激痩せ月間と名付けており、天下の任天堂様様が生み出した筋トレソフト、リングフィットアドベンチャーをしていた時だ、私が必死こいて筋トレしているのをパートナーであるリングコン君が褒めたり褒めなかったりを一喜一憂していた時に1本の電話があった。その相手は私が老人会の会長(自分は副会長)と位置づけるほどの老人ぶりをお互いに見せつけあっている仲の親しい友人からだった。彼はVtuber界隈の情報に蜘蛛の巣を張り巡らせ日々情報収集に務めているという俗に言うVオタクと呼ばれるものなのだ。ここではVとでも呼ぶとしよう。そんな彼からの電話に応答するやいなや、

「おめぇClassi見ろや   ゴホッゴホッ」

Classi a.k.a自称進学校御用達アプリ。勉強アプリとしては最下層の評価と文豪達による秀逸なレビュー。隣のs高校ではClassiを最大限に活用して生徒らが苦しめられているのをTwitterで見かける。しかし弊校は違う。流石は老害高校と呼ばれるだけのことはあるのだろうか。教師陣がClassiの使い方をわかっていない。故にClassiは私たちの間で言うLINEのような使い方しかされていなかった。

そんな弊校からのClassi連絡が来たらしいのだ。しかもVはとても興奮している。どんなこと考えてんだと不安になりながらもClassiを開く。そこにはこのような題が付けられた全校生徒向けのメッセージが送られていた。

「本校生徒から新型コロナウイルス感染者が確認されたので月曜日を臨時休校とする。」

 

歓喜。この状況を歓喜と言わずして何と言う。その連絡が来たのは日曜日だった。その日はいつも通りVと通話を開いていたのだが彼の提案で『意味のある行動をして有意義な日にしよう』というコンセプトの中で過ごしていたのだ。部屋の掃除をし、勉強をした。多分偏差値30上がっただろう。医医も夢ではない。私は昔

から親に『いい事をすると自分にいい事が返ってくるんだよぉ』と言い聞かされていたが、その事を私は頑なに信じていなかった。何せ私の親だ。私が嫌いな食べ物を言う度に『それ食べたら頭が良くなるよォ、それ食べないと鬼が来るよォ』と言っていた親だ。信用できる余地が無いだろう。しかしメッセージが届いた日を境にその言葉を信頼した。親には感謝だ。 今度肩たたき券でも渡そう。いい事をすれば休校になる。私は2ヶ月後には貧困問題を解決しているだろう。

そんな訳で休校が決まりVとその連絡のあとスマブラをし、ファミコン時代のテニスゲームで馬鹿みたいに笑い転げて夜更かししましたとさ。さぁ私とVで通話ひながら元々学校のあった月曜日(響きが素晴らしい)を堪能していた訳だが2人は内心こう思っていた。

「コロナ消毒って時間かかるくね?そしたらあと2日は休み確定じゃね???」

弊校から新型コロナウイルス感染者が出るのは周りと比べて遅かった。周りには2つの高校と近くに中学がある。その3つの学校では3.4週間前には既に感染者が出ていた。しかし弊校では一向に出る兆しが無かったのだ。校長隠蔽か?等と言われる始末だった。そしてその周りの学校で感染者が出た時は4.5日は休校になり学校によっちゃオンライン授業に切り替えられる所もあったそうだ。その理論で行くと弊校でも何日かの休みは与えられるはずだ。はずだった。しかし月曜日の夜、夜ご飯を堪能した後休校日夜の部を開始しようとした時、またしてもとある1本の電話が。相手は勿論Vからである。通話に応答すると昨日とは声のトーンが違う。第一声は「あーガチで死ねよ」だった。遂に私にも命日か。遺書のひとつでも書いておけば良かった家族に対する感謝を伝えきれてなかったな、嗚呼大学行きたかった、ごちうさ見終わりたかった等と思っていたらどうやらそれは勘違いでClassiを確認しろとの事だった。そこには

「感染したのは3年生で消毒が完了しているので1.2年は明日から通常登校すること」

と書いてあった。Vは激怒した。メロス以上に憤慨していただろう。その後3分に1回のペースで電話越しに大きな音が鳴った。多分近所の家の窓を片っ端から割っていたのだろう。今度一緒に謝りに行ってやろうと思う。

ここで話を遠足に戻る訳だが、弊校が休校になったことと、今回の遠足にどのような関連性があるのか勘のいい人は気づいているだろう。休校の連絡が来た際に遠足の延期か中止が検討されていた。無論私は後者を祈願していた。このご時世に大阪に遠足wしかも弊校でコロナウイルス感染者が出たwww流石に決行されるのならへそで茶を沸かしてお茶漬けにして食べようと思っていたが。が。が。

火曜日、休み明けの学校には1.2年生の何故か元気な姿があった。朝のSHRで専門学校先生がやってきて衝撃の言葉を放ったのだ。

「3年生は大変やね。みんなも気をつけや。あ、遠足は月末行きまし笑」

私は激怒した。(2回目)なーーーんーーーでー?

これには大阪湾よりも広い心を持つ私でも許せなかった。文系標準はあるのに理系標準が無いことにもキレなかったのに。勝利の女神は私に微笑まなかった。それだけでもいっぱいいっぱいだったがそこに右ストレートが入る。オーバーキルである。

教室には後ろにも黒板がある。というよりかは手紙などを張り出す掲示板のようなものが。そこに私が見たことの無いものが。左右2マスで間には1マスの隙間、1番下の行は5マス書かれており、真ん中の縦1行以外にはクラスメイトと思われる名前がマスごとに綺麗に書かれている。しかも私の名前は書かれていない。その状況から私は私のいない所でどのような事が行われたのか容易に想像出来た。先週の金曜日のHRで前述した通りに班決めは終わっていたがバス座席までは時間が足らずで決められていなかった。私は金曜は家の用事があったのですぐに帰宅したが放課後に私以外のクラスメイトで集まってバス座席を決めていたらしいのだ。その事を知ったのも休校明けで遠足が予定通り行われるのを知ったのも休校明けである。なーーーーんーーーでーー!

幸いなことにも前の方が空いていたのでみんなが帰ったあと静かに自分の名前を書いてその日を終えた。

そこから遠足前日までは遠足行きたくない音頭だ。これは友人から聞いたのだがTwitterを見ればわかるが遠足1週間前からはツイート数が異常に増えていたらしい。いつも多いのにね。

無慈悲にも日はすぐに過ぎていき前日の夜だ。ここまで来ると吹っ切れて班長の仕事を全うし楽しもうではないかと思っていた。疲れない程度に。バスは1人だ。逆に気を遣わなくていいのでは?なんだか楽しくなってきた。これが遠足効果というやつか。まんまとはめられてしまった。どうせ行き帰りは1人だからSwitchを持っていこうと思った。ついでにスマホホルダーも持っていけば寝転びながら動画見れるじゃん?てことは酔い止め必須じゃん!これを読んでいる貴方は子供のようにはしゃいでいるとバカにしているだろうか。阿呆。アホである。本当に楽しいのである。人間は考え方ひとつ変えるだけでどんな行事も楽しいと思うことができる素晴らしい生き物なのだと改めて感じた。その後いつもは教科書と筆箱で埋まっているカバンに夢と希望と遊び道具を詰めた。明日は遠足だ。どうせ行くならポジティブに、楽しんで帰ろうと思考しながら私はハードコアを聞きながら眠りについた。

当日。8時20分に集合出発との事だったので朝ごはんとトイレと身支度とトイレとトイレの時間を考慮して6時40分起きだった。健康そのものだ。ご老人が散歩に出ている時間帯であり1部の若者はオール失敗の関門とも言える時間帯だ。朝ごはんの納豆卵かけご飯を堪能し、顔と歯を洗い、トイレで一服した。そこまでは良かった。登校途中に部友と他クラスだが中学からの友人と出会った。2人とも流石は陰とはかけ離れた存在だなと思わせるような服装である。遠足では私服である。そこでひとつの不安が頭をよぎった。「服装指摘されたら終わるくね?」

普段はパジャマ第一主義を唱えておりオシャレには完全に疎かった。イオンを歩いていると歩く人々が髪の毛を鎖のように結んだり目の下にシールを貼ったり、ズボンの膝部分が破れているのを履いている人、色んな容姿の人を見ることがある。最近のオシャレは目の下にシールを貼るのか。剥がす時痛そう。

そんな私のToday's fashionは

グレーの暖かズボンに青い長袖服、寒さ対策に赤と黒のチェック柄の上着

私としては120点満点、スタンディングオベーション不可避な評価だが、陽キャには伝わらないと思う。そんな不安を抱えながらいざ門を通ると、流石は30分前行動社畜の鑑。同じクラスの人は見当たらなかった。安堵しつつスマホを弄りながら皆が揃うのを待っていた。

5分もすると続々と集まっていく。人が来る度にその人に視線が集まり服装の評価をしている。怖い。怖すぎる。先に来ておいて本当に良かった。アラームアプリには頭が上がらない。そこまで他の人の服装を深く見なかったからそこまで覚えていないがイオンモールでよく見る服装がいっぱいだった。ちなみにズボンの膝部分に穴が空いているものはダメージジーンズと言うらしい。服は自分の体を守るものでもあるのに転倒した時どうするのだろうか。膝ではなく手を前に出したりするのだろうか。そんな疑問を抱いていたら皆が揃いバスに乗り込む時間になっていた。1番前なので最初の方に座ってゆっくり荷物の中を整理していたその時、事件は起きた。顔が青ざめた。

私がスマホホルダーを前の座席についてるフックの部分に取り付け完璧なパーフェクトバス移動ライフ座席を作成していたその時だ。私の隣に平然と座るテニス部陽キャとたまに絡んでいるが周りと全く喋らないクラスに1人は居る提出物を先生言い忘れてますよ発言陰キャ(以下テニス部)の姿があった。確かに彼は私含め4人の班の1人だ。しかしバスの座席の横に彼の名前はなかった。というか私もクラスメイトとの交流がないので女子全員は大前提として男子数名の名前と顔が一致していないのだ!誰だかわからない。班員なのに。もしかしたら彼が勘違いをしているのかもしれない。しかも私は班長だ。ハッキリと物を言える立場だろう。ここの席って僕1人じゃなかったのかと問うと、「昨日決まってここになったよ」と答えた。後日談だが、彼もまた私と同じように名前が書かれていなく、座るところがなかったので私の隣に配置されたらしい。彼とは喋ったことがなく外見だけで判断していてやばい人にしか見えなかったがいざ隣に座ってみると何も起こさない静かな人だった。人生なんとかなるもんだなぁと思った。思っていた。ずっと思いたかった。最初の2分くらいは静かだった。その時私はSwitchのスマブラでCPUにボコボコにされ愚痴ツイートを考えていたのだが、隣の席から人の声がした。「はあ?ふざけんなよ?あーやられた」

やばかった。これが陰キャの真骨頂と言うべきなのか。それかポケモンはここまで人を壊してしまうのか。その後もテニス部くんはポケモンをプレイしながら独り言で愚痴を並べていた。少し大きめの声でだ。まあ私はそれに耐えられるはずもなく、ゲームに集中しようにも酔い止めを忘れてゲボを出せ!と言われたら歓迎して吐けるくらいの体調だったので大人しくイヤホンして寝ようと思った。そうすれば声も聞こえなくなるだろう。イヤホンをつけ曲を選んでいるときだ、声が聞こえる。彼の声がイヤホンをも貫通してくるのだ。私は諦めた。寝た。その間に何があったのかは私は知らないし知りたくもない。

私が目を覚ましたのは先生のもうすぐ到着するという声だった。窓の外には都会という文字を具現化したような見上げると首を痛めそうなくらい高いビルが並んでいた。その景色はまるで摩天楼。田舎モンには十分すぎる光景だった。バスが足を止めた。公道の端っこ、大阪城公園入口付近で停車し私たちは速やかにバスを後にした。ここから本格的に遠足が始まるのである。

バスを降りる際に運転手に一礼。 運転手とは凄いものである。生徒がガヤガヤしているのに苛立ちを見せずただひたすらに私たちを目的地に送り届けようとしている後ろ姿、感服である。乗り物酔いはしないのだろうか、今度聞いてみようと思う。

バスから降りたら数十メートル先まで歩くと川がみえる。第二寝屋川というらしい。第何くらいあるのだろうか。川近くに水上バスの乗り込む場所があった。その傍には無人の販売所、川の向こう岸には大きな建物が並んでいた。今まで7000文字近く書いてきたがここで画像を貼れることを思い出したので当時の風景と共にお送りしようと思う。

f:id:yagi_ohanashi:20201105082950j:image凄い。あと画像の大きさ変えれない。文章も調整出来ない。はてなブログ難しい。それにしてもいい天気だった。某ネコ型ロボットみたいな色をしていた。運動会があれば校長先生が「皆さんの日頃の行いがいいお陰で"雲ひとつない"天気になりました」と発言し物議を醸すだろう。川の向こう側にはビル。ビル。ビル。首が痛くなった。地震に耐えれるのだろうかと考えていると班員が水上バス乗り込み口にまで呼んでくれた。

班員についてだが、私含め4人で1人はバスの中での拷問係を務めていたテニス部くん、そして私を班に招き入れてくださったおふたり様だが、1人は吹奏楽部出身のお方とVの友人である私と同じ帰宅部のお方である。ここではそれぞれ「吹奏楽くん」と「帰宅くん」とでも名付けよう。この4人の中で1番はしゃいでいたのは吹奏楽くんだった。彼曰く以前も何度か大阪に訪れたことがあるが、親無しで来るのは初めてだと言う。その証拠に彼は着いて1番最初に見えた、ytvと書かれた読売テレビのビルを見てはしゃいでいた。私はなるほどなと思った。そうこうしている内に担任がクラスの人数確認を済ませ皆に水上バスに乗り込むよう指示した。

流石はGo to トラベル対象なだけあってコロナウイルス対策が徹底されていた。乗り込む前の入口に消毒液。乗り込んだ後の中に消毒液。用意する側も苦労しているんだなと感じた。

しかーし、そんな苦労を踏み躙るのが我らが弊校の誇り、標準クラスなのである。授業中にスマホを弄り休み時間に充電するというサイクルを基本としてクラスの板書率は見事な3割以下。提出物はみんなで出さなきゃ怖くない精神で教科担当にも呆れられているという我がクラスにコロナウイルス対策という言葉は上の空なのである。流石と言うべきなのだろうか、教員の警備が張り巡らされている場所と警備が手薄な所とでの切り替えの速さは尋常の域を悠々と超えている。乗り込むと周りでは

「映え〜」「映えてる〜」「マジエモいわ〜」

という声がしてくる。インスタグラムの沼にハマっているハエが飛んでいるなと感じつつ私も班員4人で4人座席に座った。


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いざ座ると周りの雑音が気にならなくなるほどの驚きがあった。窓からみえる水面が近すぎる。今から潜水艦にシフトチェンジしても違和感なかった。座席の前にはバスによくあるペットボトル固定出来そうで微妙にサイズが合わないソレがあった。周りの景色に圧巻されているのも束の間、水上バスが動き出した。車酔いの酷さには定評のある私だがこれはそこまで酔いを感じなかった。船が水飛沫を上げながら進んでゆく。すると船内にとある声が響いた。女性の声だった。如何にもVtuberに居ても違和感なさそうな声だった。その水上Vtuberが彼女が水上バスの旅をご案内すると告げ解説を始めた。

大阪はいくつかの島にわかれて構成されていると私は思っている。大阪湾付近には埋立地もありそれらを繋ぐ橋が数多くある。それもあって水上Vtuberの口からはほとんど橋に関する話題だった。京橋、天神橋、慣れた口調で話していく水上Vtuberを他所に周りではシャッター音の嵐だ。まるで謝罪会見でも行われているかのようだった。撮られた写真全てをSNSにあげられいいねの数に変換されるのだろうか。橋も大変なものだ。その後も川を行ったり来たりしながら大阪をゆっくりと回った。50分くらい経つと元の場所に戻り水上バス体験は終わりとなった。

降りた後休む間もなく先生が口を開いた。

「これから2時前まで自由行動や。美味いもん食って時間厳守で戻ってこいな」

周りが騒ぐ。私はこれからかけられる足への負担に絶望する。 それぞれの班が徐に目的地に向かって動き出すのを見て私たちの班も班員で行き先を決める。すると吹奏楽くんが

「あのytvって6チャンネルやんな?」と言ったので私は「せやでー」と返答した。

嘘である。この男、ytvを読売テレビと読むのをこの時分かっていなかったのである。なんと読むのかわからない。しかしこれから共に歩く友として無視する訳にはいかない。その咄嗟の判断で『せやで』という肯定の3文字を発してしまったのである。失態である。その後帰宅部くんが10チャンネルの読売テレビであると訂正した時には私は地面に額をついて土の下に座っていただろう。

せっかく読売テレビの話題が出たのだ、どうせなら近くまで行ってみないかということになった。読売テレビを含む多くのビルは川を挟んだ場所に位置している。そこに辿り着くための橋を探すと1つ大きな橋があった。如何にも人間がブリッジをしているような形の橋を渡るとすぐ目の前に読売テレビのビルが そびえ立っていた。ここでせっかく撮った写真を活用しよう。


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 左が橋を渡っている途中に見えた発展クラス、またの名をガリ勉強制クラスである。彼らはあの船の中にいる時どのような空気なのだろうか。やはり1人ひとつはシス単や青チャート等を持ち込んで勉学に努めているのだろうか。

右は読売テレビのビル前である。手前には名探偵コナソの少年探偵団の像があった。奥のビルは木材を基調としたオシャンティな建物。残念ながらコロナウイルスの影響からか関係者以外立ち入り禁止となっていた。渋々侵入ミッションを諦め、読売テレビを後にした。行く手もわからずぶらぶら歩いていると並木通りへと踏み入れた。10月末にはハロウィン、12月にはクリスマスのイルミネーションが飾られてそうな木が並んでいる。自然に全身を使い触れていると右手にとあるものが。

f:id:yagi_ohanashi:20201110141539j:image首が折れた。高すぎるし高すぎる。さっきまで緑が生い茂っていたと思ったらこうだ。人類は自然と共に歩んできたのだなぁと思った。正面から見ると奥行きがほぼなく、デコピンひとつで転倒しそうな見た目だった。これでも地震対策はしっかりと成されているのだろう。かがくのちからってすげー!

倒れそうなビルの横手を通り左に曲がると本日の主役が垣間見えた。

f:id:yagi_ohanashi:20201110141912j:image大阪城である。大阪といえば、これか道頓堀かポケモンセンターだと思っている。写真からもわかるが凄く遠い。気が滅入るが時間もあるので徐に歩いていく。道中は勉強の話やコロナの話という有り触れた内容だったのでら割愛する。あったことといえば2、3回躓いたくらいか。それも日常的な事なのでここでは掘り下げないこととする。その後も足の痛みが蓄積されていくのを感じながら歩き、このまま大阪城敷地内の話題まで飛ばそうと思っていたが、そう思い通りに行かないのが人生というものである。

『腹が減っては戦ができぬ』、腹が減っていては、十分に活動ができない。もちろん戦うこともできない。物事に取り組むときは、まず腹ごしらえをしてエネルギーを補給するべきだ。と意味づけられている故事ことわざである。私のその時の状況を説明するのに最も適している言葉であった。腹が減る。思い返せばいつもよりも早く起床し朝ごはんを食べ、テレビ体操に勤しんだのは午前6:30くらいのことだった。そこから口にしたのはお茶くらいか。友人が菓子の摂取を勧めてきたがその日はトキメキ激痩せ月間の最終日だった。この日に菓子に手を染めることは失敗談の典型的な例として取り上げられる以外の未来は無いことを示唆していた。その為倒れそうなビルを後にした時から異常なほど腹が減っていた。幸いにも班員たちも同じ状況らしく満場一致で大阪城へ赴く為の作戦会議、ついでに腹ごしらえをすることになった。

他府県に訪れる時はその土地での有名な食べ物を頂くのが基本だろう。私達も同じ意見をもっている。バスを降りたすぐそこに多くの飲食店が並ぶ場所があるのを思い出し、そこへ向かう事にした。道中何を食べるかという議題になった。大阪といえばお好み焼き、たこ焼き、串カツ二度漬けが主流だろう。その中でたこ焼きを選ぶことになったらしい。その頃私は腹が減りすぎて何を食べようが良かったので頭が回っていなかった。そう。たこ焼きが選ばれていることも、問題視していなかった。

スタート地点に戻ってきた。1kmくらい歩いたと思う。空腹と同時に足の痛みも襲ってくる。人間とは一筋の光がある限り生きる希望を捨てないものである。当時の光とは飲食店だったのだが。空腹?足の痛み?そんなことはどうでもよく今目の前に広がる後に私の胃袋に入るであろう食べ物を料理してくださる方々が集まるエデンのような場所に着いたという感動に比べれば月とすっぽんだった。一行はたこ焼き屋さんを見つけそこへ向け歩く。すると強制イベント発生。二階建ての横長の建物の二階部分から私たちを呼ぶ声があった。ラーメン屋の客引きである。何言っているのか聞き取れなかったが多分そのラーメン屋に来て欲しいのだろう。客引きや道端でのティッシュ配りには毎回反応する私だが、空腹状態の私に勝てるのはこの世に存在しない。客引きを見向きもせずに班員についていった。たこ焼き屋に着く。そこで私は我に返った。たこ焼き?タコが入っている????たこ焼きというのはチョコケーキの中に酢飯が入っているようなそんな感じの食べ物だ。せっかくのたこ焼きの『焼き』部分をタコが台無しにしている。どうしてタコを入れようと思ったのか、大学の卒業論文にまとめて提出したい程だ。「たこ焼きタコ無しで。」、こんなことを言ってしまえば袋叩きにされるだろう。ここは京都ではない。大阪にいるのだ。どこから狙われているかわからないのだ。たこ焼きを諦めて餓死するのを待つか班員にタコだけ食べてもらうという社会的に死ぬ行為にするか迷っていると、班員がたこ焼き屋から折り返して戻ってくる。どうやらたこ焼きを持って歩くのがめんどくさいし、椅子に座ってゆっくり食べたいらしい。やはりこの面子についていってよかった。神様はまだ見放していなかった。九死に一生を得た思いで先程の道を戻る。するとまたまた強制イベントだ。客引き様が今度はお得なクーポンをぶら下げ私たちに声をかける。2回も声をかけられては行かざるをえなかった。班員みんなで大きく丸のポーズをとり客引きのいた2階へと向かった。

ラーメンは美味かった。先生から渡されていた1000分の商品券のようなものを使い実質無料でラーメンと唐揚げを食べた。無賃飲食である。癖になる感覚だった。完全に体力も回復した一行は大阪城へと進軍していく。

f:id:yagi_ohanashi:20201110160543j:image撮り方が下手だ。今度インスタグラマーについて勉強しようと思う。


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左は赤門、ではなく名前を忘れたもんだ。大阪城に攻め込もうとする数多くの人たちを塞き止めたのであろう。写真からも分かるがこの日は日差しが強かったが気温の低さと相まって過ごしやすい気温だった。右の写真の奥にある如何にも自転車で下ったら気持ちええ坂を上がったらお目当てのブツが見えた。


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 嗚呼でかい。実物をこんなに近くで見たのは初めてだ。それにしてもでかい。常に上を向いて歩いていたと思う。いつものスマホ首と対象的な角度を保っていたからスマホによる首の痛みが緩和されたかもしれない。石垣近くに小さな穴が空いているのはそこから銃を構えていたのだろうか。石垣は崩れないのか、アロンアルファは用意されているのか、色んな疑問が募るばかりだ。天守閣も金がかかっていた。大阪城を横にしてもう少し奥まで進む。

f:id:yagi_ohanashi:20201111130654j:image上位国公立大学のメイン校舎みたいな建物が!似ている大学があったはずなのだが名前を忘れてしまった。学歴厨の人でわかる人は一報入れて欲しい。これは大学ではなく博物館や売店などを兼ねた建物らしい。そういえば大阪まできて手ぶらで帰るのは自殺行為である。我が家に帰ると真っ先に私の帰宅よりもお土産に話題が行く。なので何かしら戦利品を持ち帰らないと家に戻れないのだ。私が中に入ろうとするとポケットの中のスマホが振動を始めた。集合15分前を知らせるアラームだ。集合地点より遠くの場所まで来ていたので今引き返すのが得策だろう。仕方なくお土産を諦め退散することとする。家族には昼飯に食べたラーメン屋の唐揚げ無料クーポンでも渡しておこう。

帰り道も特筆すべきイベントも起きずに集合場所に着いた。私たちが来る前に大半の班が集まっていた。バスの中では朝の反省を生かし乗り込み直後にイヤホン装着。お気に入りアニソンセットを音漏れしない程度に大きめで流しなんとか事なきを得た。寝るのも勿体ないのでこの記事を書くことにした。しかし流石は老体。途中で寝落ちした。目が覚める頃には既に高校近くの信号まで来ていた。高校に着くと各自解散、これといった会話も無く家路に戻った。家に戻ると案の定土産についての話題だ。物凄く金のかかった価値のあるものだとハードルを上げてからラーメンの無料券を渡すとその日弟が口を聞いてくれなくなりましたとさ。

 

ここまで私の駄べりに付き合って頂いた皆には頭が上がらない。総括という題名を付けておきながら遠足に赴くまでで6000文字、遠足から帰る頃には12000文字にまで増えてしまった。ここまで長々と喋ってきたが今回の遠足で何を学んだかというと、人間は考え方ひとつなんだなということを学んだ。私はよく1人悩むことが多い。私は運動が出来なくて周りの友人はスタイルがよく運動万能、頭が良い等、わざわざ私よりも上の事象と比較して自分に足りないものは何かとか考えることが多い。これを病んでいるとは私は思っていないのだが。しかし思えば彼らにも私に劣る部分があるはずで私にだって特技はある。

この記事だってそうだが、添削力は無いが無駄なことを永遠に書き記す作文力ならある。彼らは私よりも優れている部分でプラス値にあるかもしれないが彼らにも何かしら悩みがあってマイナス値になり結果プラマイ0になる。私にもプラス値マイナス値がそれぞれにあり、プラマイ0になっていると思う。そう考えると人間は皆平等に生まれその後は周りの環境にもよるが個人の努力のしようで運動も出来るようになり良い大学、いい企業に就ける。私は運の良い事に日常生活に不自由無く過ごせてもらっている。私には家族がいて友人がいて服を着て生活し毎日3食口にほおりこむことが出来る。

そんな恵まれた中に生きているのに周りと比較して自分の評価を自分で下げるのは今思えば自分でもバカバカしいと思う。何故こんなに時間があって自分はここまでの人間にしかなれなかったのか、ではなく、今までサボりすぎたけどこれからなんとかなる。せっかく今までの自分の悪い体験を持ち合わせているからそれを活かして今後に活用していけばいいのでは無いか。と考えた方が人生楽しくなるものだと思う。

どんなに嫌なことでも全力で楽しめば案外良くなるものだと改めて感じさせられた有意義な時間を過ごさせてもらった。

最後に、遠足は何だかんだで楽しかった。物は考えようで遠足で学んだことをこれからの人生に活かして行けばいいと思った。

1度しゃがんだ方が高く飛べる。

最後かっこよく決めようと思ったけど丁度いいくらいにダサい感じになっちゃった。それもまた自分らしいのかもね

ここまで読んでくれて本当にありがとうございました!また機会があれば会いましょ。

                         

                                                 み